「10月のトウモロコシはナイフ」
カナダの奇才・天才、グザヴィエ・ドラン監督が、ミシェル・マルク・ブシャール(カナダの人気劇作家)の同名戯曲を映画化!
ドラン監督は、私の敬愛するガス・ヴァン・サント監督も一目置いているという事で追いかけ始めた監督さん。非常にアーティスティックで繊細で、セクシャルマイノリティな作品を作る監督さんです。
監督だけでなく、脚本、編集、衣装まで手掛け、更に主演までしてしまうという天才ぶり・・・最初に書いた脚本が10代の時の物だったということもあり、「若手のカリスマ」とも呼ばれていますね。
彼の作品は、『私はロランス』→『マイ・マザー』→『胸騒ぎの恋人』→『Mommy/マミー』と来て5本目の鑑賞になります。
アップリンクさんの公式サイトはこちら。
【映画情報】
【原題】 Tom a la ferme
【制作国】カナダ、フランス
【監督/編集】グザヴィエ・ドラン
【脚本】グザヴィエ・ドラン、ミシェル・マルク・ブシャール
【原作】ミシェル・マルク・ブシャール
【製作】グザビエ・ドラン、ナタナエル・カルミッツ、シャルル・ジリベール
【撮影】アンドレ・トュルパン
【音楽】ガブリエル・ヤーレ
【出演([]内は役名)】
- グザヴィエ・ドラン[トム]
- ピエール=イブ・カルディナル[フランシス]
- リズ・ロワ[アガット]
- エブリーヌ・ブロシュ[サラ]
- マニュエル・タドロス[バーテンダー]
【公開日(日本)】2014年10月25日
【上映時間】100分
【配給】アップリンク
【映倫区分】PG12
【IMDB】7.0/10.0 (およそ12,000人の評価)
【あらすじ】
。恋人の男性ギョームが亡くなり悲しみに暮れるトムは、葬儀に出席するためギョームの故郷を訪れる。しかし、ギョームの母アガットはトムの存在を知らず、息子の恋人はサラという女性だと思っている。トムの存在を唯一知るギョームの兄フランシスは、トムに恋人であることを隠すよう強要。当初は反発を覚えたトムだったが、次第にフランシスの中に亡きギョームの姿を重ねるようになり……。【引用元:映画.com】
【感想(容赦なくネタバレしているよ!)】
☆3.9/5.0
主人公のトム(ゲイ)が恋人の葬儀で訪れた農場で出会う、恋人の母・兄・そして残された”嘘”。
この作品は他のドラン監督の作品とは明らかに毛色が違い、鮮やかな色彩や明るい音楽もなく、終始暗く、息が詰まるような雰囲気が漂うサイコスリラーとなっています。
(『サイコ』とかをパロってたりしてちゃんとホラー感も出してる!!)
監督本人は「複雑な脚本を練る時間がなかったので戯曲を元にした」と言っていたらしいので、若干脚本に隙はあるのだろうけども、それでも十分「凄い」と思えるその才能が憎い。嫌味にすら聞こえてしまいますね!(笑)
物語の解釈
”抑圧されたマイノリティからの解放”とかがまぁ分かりやすいと思います。
暴力的で目的のためには手段を選ばず、相手を飼いならしてしまう兄貴像。これは彼がラスト付近でトムを追って見せた背中、そのTシャツに書かれた三つの文字(USA)の象徴ということなのでしょうね。(つまりアメリカという国、その存在のセクマイへの抑圧を兄のキャラクターに落とし込んでいる)
しかし!私にはこの映画を観ていてどうしてもぬぐい切れなかった一つの”仮説”があって、それは物語が進めば進むほど確信へと変わっていってしまう。
単なる妄想に過ぎないと思うのでここから先はスル―でどうぞ(笑)
ちびぞうの妄想的観測
この映画は、”愛する者を失った二人の男”が心に開いた穴を埋め合う哀しい哀しい愛の物語なのです!!!
簡単に言えば、兄フランシスもゲイだろ、ということ(短絡的)。
そう感じた理由は、兄の全ての行動にあります。
あれだけ体格もデカく暴力的な兄が、母親にビンタをくらっても何も言わない場面があります。あそこで一瞬、抑圧され歪んだ家庭の姿が垣間見えます。
それに加えタンゴを踊るシーンでの兄の台詞。トムを脅してまで嘘をつかせ必死に母の平穏を守ろうとする姿と比べるとどうもミスマッチだと感じるんです。兄の母親に対する愛情は、そこまで深くない気がする。
閉塞的で信仰心の強い田舎の村で、ゲイであることは重い罪であり、バレれば大変なことになるのだろうと予測できますよね。
兄が本当に恐れていたのは「死んだ弟がゲイだとバレてしまい母親を悲しませることではなく、その”事実”が明らかになった時、自分にも飛び火してしまうこと」だったのではないか。とちびぞうは考えたのです。
そう考えて観てみると、
- 昔兄弟でタンゴを踊っていたこと
- バーでの過去話(顎を破壊された男が握っていた”噂”は最後まで明かされないが、彼はギョームのことだけでなくフランシスの事も何か掴んでいたのではないか。そうでなければそこでのフランシスの暴走っぷりは完全に意味不明になってしまう)
- トムとの暴力的で官能的な絡み(複数回)
- トムとフランシスのベッドの配置の変化・・・(離れて置いてあったベッドが後半、隣り合っています)
などなど、全ての要素がそこ(兄ゲイ説)に繋がっている気がして仕方ないんです。
ゲイほどゲイを憎む、とも言うしね。
そう、そしてこの映画の肝である”嘘”というのは兄がついてる盛大な”嘘”ともリンクするのです!(強引)
同じ男を愛した二人はお互いの中に愛する人の姿を見て、現実ではなく虚構の関係性にハマっていく。。兄は支配することで自分を満たし、トムはそれに順ずる(依存する)ことで満たされた(だから逃げられず戻ってしまうんです)。
しかし後半のサラの登場やバーでの昔話などによってようやくトムは現実を見る決意をする。傷を舐め合っていても仕方がないんだと、過去との決別、再出発をするわけです。
・・・と、そういう解釈・裏設定があると切ないじゃないですか!っていうちびぞうの妄想でした。
まとめ
上の方でも書きましたがTシャツの文字が象徴していることがテーマなのは明らかなので・・・監督は特に兄ゲイ説を意識してなかったかもしれないですね。
ジャンルはサイコサスペンス、だし。
しかしこういう見方が出来る余地が”隙”なのか”深み”なのかは分かりませんが、とにかく楽しく夢中で観れたことは確か。
映像の美しさ、ドラン監督の美しさ、脚本の凶暴さ・・・好きな人はハマること間違いなし。
『Mommy/マミー』で使われていた画面アスペクト比のテクニックもまた見れたし、ファンとしては感動しました。
やっぱりドラン監督は凄いのだ!!
というなんとも雑な感じで〆ます。笑
ああ早く監督の次回作が観たい!!!絶対に劇場で!