その真実に圧倒される―――
ホロコースト(ユダヤ人収容所でのナチスによる大虐殺)があったのか否かを裁判で決める!?
このとんでもない題材(勿論実話です)の映画に惹かれないわけがないじゃないですか・・・!
レイチェル・ワイズ(ナイロビの蜂)×ティモシー・スポール(ハリー・ポッターシリーズ)の演技派二人の鋭い眼光による演技勝負も見どころです!
パンフはこんな感じ!
赤と黒の二色バイカラーがお洒落!「否定」と「肯定」の二色を表していると思われます…!
原作者でもあり、レイチェル・ワイズ扮するリップシュタット教授本人のインタビューも載っています!
22Pで税込み700円…少し(ページ数が)寂しいですね。
【映画情報】
【原題】Denial
【制作国】イギリス/アメリカ
【監督】ミック・ジャクソン
【脚本】デヴィッド・ヘア
【原作】デボラ・E・リップシュタット著『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い』
【製作】ゲイリー・フォスター、ラス・クラスノフ
【撮影】ハリス・ザンバーラウコス
【美術】アンドリュー・マッカルパイン
【編集】ジャスティン・ライト
【音楽】ハワード・ショア
【衣装】オディール・ディックス=ミロー
【出演([]内は役名)】
- レイチェル・ワイズ[デボラ・E・リップシュタット]
- トム・ウィルキンソン[イチャ―ド・ランプトン]
- ティモシー・スポール[デイヴィッド・アーヴィング]
- アンドリュー・スコット[アンソニー・ジュリアス]
- ジャック・ロウデン[ジェームズ・リブソン]
- カレン・ピストリアス[ローラ・タイラー]
- アレックス・ジェニングス[サー・チャールズ・グレイ]
【公開日(日本)】2017年12月8日
【上映時間】110分
【配給】ツイン
【映倫区分】G
【IMDB】6.6/10.0 (およそ12,400人の評価)
【あらすじ】
1994年、イギリスの歴史家デビッド・アービングが主張する「ホロコースト否定論」を看過することができないユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットは、自著の中でアービングの説を真っ向から否定。アービングは名誉毀損で彼女を提訴するという行動に出る。訴えられた側に立証責任があるイギリスの司法制度において、リップシュタットは「ホロコースト否定論」を崩す必要があった。そんな彼女のために組織されたイギリス人大弁護団によるアウシュビッツの現地調査など、歴史の真実の追求が始まり、2000年1月、多くのマスコミの注目が集まる中、王立裁判所で歴史的裁判が開廷した。【引用元:映画.com】
【感想】
☆3.6/5.0
「現実は小説より奇なり」という言葉があるように、映画としての面白さというよりかは、この題材になった裁判がとても興味深くて面白いものだったんだと思います。
ちびぞうは大元の裁判については知識ゼロでした。
まさか「ユダヤの大虐殺はなかった!それらは全てユダヤ人のねつ造だ!」と主張する人がいるなんてこの作品で初めて知ったし、驚いた。
しかし、この主張は自分の「教科書で知った」「学校で教わった」「たくさんの映画で語られてきたから知っている」というだけの知識を揺るがすには十分でしたね。本当のところはどうだったかなんて、自分で確証を持つまで調べてみたこともないし、漠然として「そういう歴史があった」と思っていただけの出来事をどうして心から「あった」と信じられたのか。自分でもとても不安になりました。
この裁判の中身は、実は「ホロコーストの有無」を裁くものではなく、ホロコースト否定論者のアーヴィングが「リップシュタット教授の書いた本の中で自分を嘘つきだと誹謗中傷した」という事について訴えたものだったんですよね。
つまり、アーヴィングの否定論が教授の言うように嘘ばかりだった場合、その誹謗中傷も「真実である」と切り返せる。そのために、アーヴィングの主張(ホロコーストはなかった)を裁判で否定する必要がある…しかしこの二者はそれぞれの界隈で非常に著名だったこともあり、ただの誹謗中傷の裁判ではなく「ホロコーストの有無を裁判で裁く」という歴史的にもセンセーショナルな裁判へと発展していくわけです。
ちびぞうは、この映画での「真実がどうだったか」という部分はそこまで大切ではないように感じました。なぜなら、ホロコーストはなかったと否定しているアーヴィング自体が差別主義者であり、他人に敬意を払えない人物…一言で言えば「クズ」のように描かれているから。
観ている人はどう考えても主人公を応援するし、当然裁判の結果だって主人公が勝つに決まってるわけです。つまり、この映画は最初から「ホロコーストはある」として作られている。
では何が大切なのか?
それは、ただの傍観者として情報を得る我々が「何を真実と信じるか」ということ。
情報を取捨選択し、自分なりの結論を出すまでに色々な可能性を考える必要がある、ということなんです。
ネットが普及し、SNS上でも嘘がまかり通る現代にとても合ったテーマだな、とも思いましたね。
印象的だったのは、裁判へ向かうリップシュタット教授へ掛けられる”応援する声”以外にもあった”中傷・避難の声”。いまだにユダヤ人への差別感情を持っている人たちが中傷しに来ている、という場面なのかもしれません。しかし、その後に来たアーヴィングにも、同じように”応援と中傷の声”がかけられる、そして、スーツに投げられる生卵…。
この場面を見てちびぞうは、この二人は、”同じ”なんだ。と感じたんです。
「否定を信じる人たち」からすればリップシュタット教授は悪であり、敵。
「肯定を信じる人たち」からすればアーヴィングは悪であり、敵。
それぞれの人たちにとって、裁判の結果がどうあれ自分たちが信じていることこそが「真実」であり「正義」なんですよね。
今作はアーヴィングが嘘や捏造した情報を見解として発表していたのもあって、結論も分かりやすくなりましたが、もし彼が誠実な人間であり、嘘もなく自分の信じることを「真実」だと発表していたら、一体どうなっていたんだろうと思います。
法廷モノとしてのエンターテイメント性を出すために、終盤、まさかの裁判官がアーヴィングを擁護?するような質問をするシーンがあります。優勢だと思っていた被告側が「まさか負けるの?」と冷や冷やするシーンですね。
しかしちびぞうは、あのシーンは物語を盛り上げるためだけのものではなく、あの裁判官の言葉にも「一つの真実」があったのではないか、と思いました。
まとめ
役者陣の目で語る力、がすごい映画でした。特に主人公のレイチェル・ワイズは裁判の間「黙秘」を徹底しなければいけない役柄上、表情だけでその心情を語っています。
対峙するティモシー・スポールも必要以上の発言はしておらず、多くの場面で表情だけで演じていました。
台詞の少ない二者の演技での闘いも含め、非常に重たい題材で非常に緊張感のある法廷バトルが観られる今作。自分なら何を信じるのか、ということを考えながら観て頂きたいですね。
イギリスの少し曇った画面、美しい建造物や小物などにも注目です。